2022/12/22 10:32
1.商人の験担ぎ 瓦猿の歴史 その姿はお使いから帰ってきた子どもを思い起こさせ、自然と愛おしさが湧いてきます。 “瓦猿”というこの郷土玩具が生まれたのは、和歌山県和歌山市。 桃が邪気を払うとされている古来中国の言い伝えから安産祈願や、語呂合わせに由来する安泰、商売繁盛を願うお守りとして、“瓦猿”は江戸時代から、様々な人に親しまれてきました。 かつては多くの職人が扱っていたそうですが、現在は野上泰司郎さんだけが取り扱いをしています。 「この町は江戸時代、和歌山の城下町として栄えていました。そのため、瓦の生産が盛んで“瓦町”という愛称で呼ばれていたんです。“瓦猿”はそんな“瓦町”の瓦職人たちが本業の傍に制作し、栗林八幡宮境内の日吉神社(ひえじんじゃ)に奉納したのが始まりとされています。」 天下の台所・大阪に程近い和歌山県では商売人たちが験(げん)を担ぐために、様々な風習が存在していました。 “瓦猿”もそんな験を担ぐ縁起物の一種。“変わらざる”とかけ、商売繁盛の継続を願ったのです。 「今は桃を持った猿が残っていますが、鶏を持っていたり、なにも持っていなかったりする猿も記録に残っています。 いくつか製造した中で、魔除けの効果があるとされている桃を持った猿が受け継がれてきたのでしょうね。 実際桃は、古い日本の建築で屋根や塀などの飾り瓦に使われているんですよ。」 また他にも、猿が日吉神社の総本山である比叡山日吉大社の鎮守・日吉山王権現の遣いだったからという説や、和歌山城を建築したのが豊臣秀吉のあだ名に由来するという説などが存在しています。 しかし、現在に至るまで親しまれ、伝え続けられているのは、野上さんが扱う桃を持った猿の一種類のみ、となっているのです。 2.「不思議なものを作っているな」“瓦猿”を取り扱う家に育って かつては瓦町で活躍する“瓦職人”の家の一つであった、という野上さんのお家。しかし野上さんが子どもの頃にはすでに瓦の製造はされておらず、瓦問屋として活動をされていたと話してくれました。 「昔の日本家屋には、防火の意味もあって瓦は欠かせない存在で、職人もかなり忙しかったと聞いています。 しかし近代化が進み、流通手段が発達したことで他の場所からも安く質の良い瓦が入ってくるようになりました。さらには製造の工程で大量の煤(スス)を排出するため、昔ながらの土窯を用いていたこの地域では、公害問題が起こることもあったそうです。 そのため野上家は製造をやめ、瓦問屋として活動するようになりました。」 そういった変遷がありながらも途切れることなく続いてきた“瓦猿”。野上さんは“瓦猿”を初めて見た、子どもの頃の記憶を語ってくれました。 「『なんだこれは?』と思いましたね。瓦と同じ素材であることは間違い無いですが、瓦ではない。それでも母がたくさんの“瓦猿”に、何度も色をつけ発送しているのを見て『大切なものなんだろうな』と感じていました。」 やがてお父様が亡くなられて、野上さんの代となってからは様々な問題があり、瓦問屋からも撤退。現在は不動産業を営んでいます。 一方で“瓦猿”は今も変わらず。淡路の瓦屋さんに型を預け瓦の製造をしてもらい、野上さんと奥様が色付けなどをおこなって瓦猿をひとつひとつ丁寧につくっています。 3.「瓦には夢がある」 瓦への想い なぜ瓦の取り扱いをやめても、変わらず“瓦猿”をつくり続けているのか? その質問をぶつけると、野上さんは瓦や“瓦猿”の文化への想いを話してくれました。 「瓦には元来、そこで暮らす人々のために、神様への願いが込められていました。鬼瓦は魔除けの典型ですし、鯱鉾(シャチホコ)もそうですね。 少し話は変わりますが、昔『いらかのなみ』という歌がありました。 空に飾った鯉のぼりの雄大さを歌っているのですが、その“いらか”は“甍”、つまり“夢”のタの部分を瓦に変えた漢字なんですね。 瓦は春夏秋冬、朝も晩も、込められた願いを全うし家を守って、人々の暮らしを豊かにする。 瓦には夢があるんだと、私は考えているんです。」 「“瓦猿”も同じです」と野上さん。 「“瓦猿”は最初、商売繁盛や安産祈願といった願いが込められ、この町の人々に親しまれていた、小さな猿の置物でした。それを父が広報をしたことで、多くの人から郷土玩具として注目を浴びるようになったんです。 日吉神社には、たくさんの人の想いがこめられ、これまでに奉納された膨大な数の“瓦猿”が保管されています。“瓦猿”の型も、原型に少しずつ手が加わって現在の形となっています。 私はそういった、積み重ねられてきた想いを受け継いでいきたいんです。」 4.様々な人に親しまれる“瓦猿” 「父が上手く郷土玩具として広めてくれたおかげで、これまで様々な方が“瓦猿”を手に取ってくださりました。」と野上さん。 “瓦猿”は、邪気を払う桃を持つことから、安産祈願のお守りとして用いられてきました。妊娠すると“瓦猿”を神社から一体借り受け、出産が済むと別の一体を購入し、二体にして神社に返す。そんな風習が今でも残っているのです。 また近年は不妊に悩む女性にも、お守りとして重宝されていると野上さんは話してくれました。 「以前うちに、不妊の悩みを抱えている方が、“瓦猿”の噂を聞いてやってきてくださったことがありました。“瓦猿”にまつわる話は私ももちろん知っていますから、喜んでお渡ししたんです。するとその後無事にお子さんを授かったとのことで、お礼状をいただいたことがあったんですよ。 私の知人にも、“瓦猿”を持ったことで妊娠をされた方がいまして……。不思議な力が宿っているんだろうなと思っています。」 また上述のように“変わらざる”という言葉にかけて、今でも商売繁盛の願いをかけて購入される方や、郷土玩具としてコレクションするために購入される方もいるとのことです。 5.瓦猿をこれからも 「“瓦猿”をこれからも繋いでいきたい」と話す野上さん。 今“瓦猿”は、かつてのような形ではなく、野上家で代々受け継がれてきた型を淡路の職人に預けることで製造されています。 「私は父から“瓦猿”を受け継ぎましたが、今は息子が“瓦猿”の文化を受け継ぎ、活動してくれています。 “瓦猿”だけを本業でやっていくのは難しいですが、そんななかでも伝統や想いを絶やさないように活動してくれるのは嬉しいですね。」 瓦や“瓦猿”のお話を嬉しそうに、とめどなく話してくださる野上さん。 彼のお話からは、ひんやりとした“瓦猿”につまった、伝統への情熱が伝わってきました。